父のこと
私の父が若年性アルツハイマー病にかかった時、徘徊する事が多く、探しだすのに苦労しました。
当時、50代前半の父は体力があり、びっくりするくらい遠い所まで徘徊していました。(JR三駅分くらい)
そこで、迷子札を服に縫い付けて、探しやすいようにしたのですが、歩き出すと暑いせいか服を脱いでしまうのです。
そのため探し出した時は、だいたい下着姿(情けないやら、恥しいやら)。こうなったら服はもちろん下着にも迷子札を縫い付けて、さらに首に迷子札を吊るし、着る服も人に説明しやすい柄や色にする事で、ほんとに見つけやすくなりました。
今では、携帯電話、PHSを利用した探索装置もあるので利用されても良いかもしれませんが、一番大事なのは近所の人達に患者さんのこと、アルツハイマー病のことを説明し、外に一人でいるのを見かけたら連絡してもらうようにしてもらう事だと思います。私の父も、ご近所さんのおかげで大分助かりました。
遠くの親戚より、、、、ですね。
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父の徘徊が始まった。昼間は母も私も働いているので、まだデイサービス等が無い時代なのでカギを掛けた家に父一人だった。夕方母から私の会社に「いなくなっている」との電話があり、私もすぐに探す。警察にも行き探してもらう。
近所の親しい人にも協力して頂き、私の婚約者(今の妻)を連絡係りとして家の電話番になってもらう。
父は見つからず。夜9時に探してもらっていた近所の人には家に帰っていただき、母と私ととで捜査を続ける。
12時、家に定時連絡すると、つい先ほど交番から電話があり、それらしい人物が駅の自転車駐輪所で見つかったとの事、早速その交番に行ってみると、確かに父であった。
夏場とはいえ上半身は裸、所持金は無し。人の少ない駐輪所にうずくまって居たとの事。「半裸の男がいる。」という通報が警察にあったのだ。僕たちは警官に礼を言い、タクシーで帰る。父はJRの3駅分移動していた。
よくこれだけ歩けたなぁと思う。タクシーの中で、母は何も言わず父の手を握っていた。
家に着くと、お風呂を沸かしてくれていたが、父は血圧が高いので風呂には入れずに体を濡れタオルで拭き、好きなリンゴを食べさしてお茶の飲まし寝かした。
僕たちは今後の事を話すが、結論は出なくカギを増やそうという事と、病院に相談するという事、迷子札を付ける。位しか出なかった。
朝になり、父は何事もなかった用に食事を取り、また寝てしまった。母は今日、会社を休む事に決めた。
父はたいへんな酒好きで、さらに酒乱気味で、よく母や私の暴力をふるっていました、ただ今考えると酒量はそれほど多くなく1日に飲む酒量は2、3合くらいでした。母はこの時飲ませていた安物の酒が原因でアルツハイマーになったと思っており、その酒にはアルミニュームが入っていたと言っています。
父は上に書いたように酒乱でしたが、それ以外では、悪い所はなく、クソが付くくらいまじめな人でした。趣味は釣りと落語が好きで私も小さい時から落語好きでしたのでよく連れて行ってもらいました。女遊びは一切知らないと言っていましたし多分ほんとうだと思います。
会社では、不正を嫌いこれが元で喧嘩する事もあったようです。父が20代の頃には労働活動を率先してやり、警察に尾行された事があると言っていました。この様な活動をしていたので会社をクビになったそうです。
当時は、アルツハイマーという病気について書いてある本も少なく、インターネットなど無い時代。図書館などで書籍を読み、お医者さんに話しを聞いたりして自分なりに解釈する。
アルツハイマーとは原因は解らないが(これは現在でも解っていない。)脳が萎縮し痴呆になる事。治療法は無い(現在でも無い)。ということは痴呆がどんどん進行し、死ぬ。。。
という事が解りました。これはショックでした。このまま痴呆が進行すれば記憶が無くなるだけではなく、友人、家族との交流も出来なくなり、ただ死ぬのを待つだけという事実。父がかわいそうすぎると、この時は思っていましたが、
実際にはもっと酷いことになるとは、この頃思っていませんでした。



こんにちは、@秋虎です。