コラムなど
<神戸新聞Web News10月28日より>
介護していた妻=当時(85)=を殺害したとして、殺人罪に問われた神戸市中央区の無職竹山喜代司被告(89)に、神戸地裁(佐野哲生裁判長)は27日、「将来を悲観して犯行に及んだ経緯には同情の余地がある」として、懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役5年)の判決を言い渡した。
“老老介護”の現場の苦悩を反映した事件として注目され、検察側は「同情すべき点はあるが、他人の世話になりたくないと、在宅介護などの措置を講じることもなかった短絡的な犯行」と主張。弁護側は「介護の不安やストレスが原因」と、執行猶予を求めていた。
論告などによると、竹山被告は昨年9月、パーキンソン病と診断された妻を介護。自身が足を骨折し、満足に歩けなくなった後も生活を支えていたが、将来を悲観して今年5月、自宅で寝ていた妻の首をロープで絞めて窒息死させた。
被告も手首を切ったが、死にきれず、兵庫県警に逮捕された。
竹山被告は被告人質問で「首を絞めたとき『許してくれ、おれもすぐに行くからな』と言った」「あのときのことが浮かんで、今も朝まで眠れないことがある。誠にすまないことをした」と犯行状況などを説明。
長女は公判で「母を亡くしたのは悲しいが、父を責める気はない」と証言していた。
僕は、介護殺人に関してはどうしても同情的になる。それは私自身が若年性アルツハイマー病になった父を殺そうと思った事があるからだ。
父が若年性アルツハイマーになった当時は介護保険制度が無く受け入れてもらえる施設も無く、仕事をクビになった父に代わって働いていた母と、私の二人で介護していた、
私も働いていたので昼間は父を家に閉じ込めていた、仕事を終えて家に帰ると父の介護をする毎日、夜は30分きざみで目をさまし家の中をウロウロする父、時々母に大声を上げたり暴力をふるう父、もうそれは拷問のようでした。
そんなある時、私は父を殴りました。その時、間違いなく私には殺意がありました。もしあの時、父の首を絞めつけようとした私を、母が止めなければどうなったかと考えると怖いです。
介護殺人とは、そんな紙一重の所にあるのでしょう、
私はもちろん介護殺人を肯定しませんが、絶望と介護疲れの中で唯一の手段が介護殺人だとしたら誰がその罪を問えるのでしょうか?
>検察側は「同情すべき点はあるが、他人の世話になりたくないと、在宅介護などの措置を講じることもなかった短絡的な犯行」と言われますが、
たとえば、京都市伏見区の桂川河川敷で2月1日、近くの無職片桐康晴被告(54)が、認知症の母親を殺害して無理心中を図った事件で、このお母さんは最終的には片桐被告の介護しか受け付けなくなり、福祉士さんの介護などはお母さんが嫌がったのです。
認知症にかかった人が、特定の人物からの介護しか受け付けなくなるというのは、よくある事です。
この場合検察側は、このお母さんに、福祉士さんの介護を嫌がらずに受けるように説得しろ!って言うのでしょうか?
説得など出きるわけがありません、相手は重度の認知症です。
じゃどうしたらいいのか?介護殺人以外の方法があるのか?
私には、わかりません。
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こんな事を言えるのには呆れますね。
『短絡的』とはどう意味なんでしょうか?
どう考えても『短絡的』なんて表現はおかしいです。
介護の現状を分からないと、こういう言葉も簡単に使えてしまうのですね。
こういう言葉は介護をしている同じ家族として聞き捨てなら無いです。
介護は症状や家庭環境がそれぞれ違うので、同じ要介護度でも施設の対応も違ってきます。
施設が受け入れを拒否する様な状況が続く限り、介護殺人は続くでしょうね。
これからも、一体どれぐらい裁判長は『執行猶予』の判決をしなければいけないんでしょうか・・・
施設を強化しないと、そのうち収まりが付かなくなるような気がします。
それも現実的ではないのでしょうが・・・
確かにこの事件を『短絡的な犯行』と言う検事の言葉には、現在介護されている介護家族の方の気持ちを逆撫でさせますね。
介護施設の充実も大事な事ですが、この事件や伏見区の事件は、認知症患者が家族の介護しか受け付けないようになったのも大きいと思います。
では何故、介護福祉士による介護を嫌がったのか認知症患者さん特有のものか、または福祉士の介護の仕方が悪かったのか、私は後者のように感じていますが、どうでしょうね。



こんにちは、@秋虎です。